Boy Gets Girl

2003年10月30日
今日は学校の先生に誘われてお芝居を観に行った。
"Boy Gets Girl"
友人の伝手でブラインドデートをして出会った男女が
またたく間にストーカーの加害者と被害者の関係に変わる。
出会った男に魅力を感じられず、
やんわりと、もう会わないことを提案しその場では同意を得た女性が、
その翌日から男から毎日贈られてくる花束や、
会社、家、携帯を問わず深夜まで繰り返し鳴り続く電話と、
そこに残される擬似恋愛の中で彼女を労わる男からのメッセージに
苦しめられる。
電話を代え、住処を代え、
それでも送られてくる脅迫の手紙や、元の住処で男が生活していることを知り怯え、
最後には名前をも代えることを余儀なくされる彼女。
身の安全のためなら、と全てを受け入れてきた彼女が
最後に悲しみの感情を吐き出して、そして諦めて、
これから共に生きて行く新たな名前を名乗って幕が閉じる。

陳腐な内容にも関わらず最後まで楽しめたのは
演技力の賜物。
よどみない演技はしつこさの欠片もなく見事だった。
日本のストーカードラマではあり得ない「笑い」の箇所が、
話の本筋を惑わすことなく随所に用意されていて、
コメディーショーに裏打ちされた役者と客席の「笑い」の息はピッタリ。
これには少し驚いた。
でも1箇所だけ、日本人なら笑わないであろうシーンに遭遇。

ストーカーと化した男からの電話が鳴り続ける深夜1時。
一刻も早くリンが止まることを祈りながら仕事に専念しようとするも、
一向に鳴り止まない。
留守電に切り替わる度に男から入る会話のようなメッセージ。
そしてまたその電話が鳴り始める。そしてメッセージ。
そしてまた鳴り始める電話・・・
発狂寸前で電話線をぶち抜いて、パソコンに戻る女性。
一瞬の静けさの後に、今度は携帯電話が鳴り始める。
絶望的な女性の嘆きで暗転。

このシーンには何ひとつ笑いの要素はなかったと、
私は今も信じているのだけれども、客席は違った。
次の電話を待ち構えて、ベルが鳴るたびに「ほらきた!」と言わんばかりの笑い。
確かに次の電話が鳴り始めることは分かりすぎるくらい明らかだったけれど、
それをコメディーショーのパターンに当てはめるほど
私は笑いを常に携えてはいないなぁと、
しみじみと感じた。
そして同じくらい、シリアスなシーンを笑いにすることに何の抵抗もない
人たちの気楽さが、この国の一側面を覆っているんだろうと、
そんなことをぼんやりと考えたりもした。
それから、Boy Gets Girl
・・・・
Girl Gets Boyでも全然いけるよね。
なんてことも考えてみたりした夜。

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