i miss...

2004年4月5日
日本を離れて四つの季節がひとめぐりした。
その中で何が1番日本を恋しくさせたかって考えた時、
真っ先に、迷わずに心に浮かぶもの。

お正月と桜。

私に大きな節目を感じさせる時の風景。
心に浮かべるだけでも、
言葉にできない重みを感じる。

桜の時。

今年は諦めて、心で日本の春を感じよう。

私。

2004年4月4日
日に日に、
強くならなければね。
今日経験した苦み。
癒されるのを待ってる時間が
今の私にはない。
明日にはまた何かが起こる。
祈って。
感謝して。
自分を信じて。
正しい方向へ、自身を導いていこう。
そうすることで、
強くなっていこう。私。

もう迷わない

2004年3月30日
人生の分岐点に立って初めて見える自分の背景。
振り返って気付く。
私はなんて沢山の荷物を背負ってここまで来たんだろうか。
愛しいものの数は、もっと少ないと思っていた。
片手で充分くらいの。
あえて今は何も掘り出さない。数えない。思い出さない。
確かめない。止まらない。
止まれない。
選び取った道に向かって、私はこの分岐点をダッシュする。
もう迷わないと決めたから。
だから、両目、ちゃんと開けてるよ。

Snow Day

2004年3月18日
本日、大雪のため休校。
ニューイングランド地方の天気の典型。
3月に入って気候もだいぶ良くなってきたのに、
何の脈絡もなく突然雪が降ったりする。
それでも雪が降ると「今日は暖かい方だね」って
言ってた1月2月の頃を思えばずっといい。
今日は家で映画を観たり
フルートを吹いたり、
トレッドミルでワークアウトしたり、
思うままにそして有意義に過ごしました。

お母さんのチカラ。

2004年3月17日
体ひとつで全部に体当たりで生きてきた人で、
難しいこととか、ややこしい話になると、
頭こんがらがっちゃって、
瞬間に思いついたままにしか言葉も出てこなくて、
あまり整理もされてなくて、
それも本当に土臭いっていうか、
どこにも“かっこいい”ものなんてなくて、
っていうかお母さんそれさっきも言ったよってくらい
同じこと何回も繰り返すから
電話代もばかにならないんだけど

やっぱりお母さんのチカラ。

何を話しても、たどり着く所は一緒。
お母さんは私の味方だって、それを私に気付かせてくれる。

それを求めて受話器を取って、
ばいばいとかじゃぁねとか体気をつけてねとかお父さんにもよろしくねとか、そんな終わりの絶え間ない会話に紛れて
ありがとうって、
心底から言ってるんだよ、お母さん。

catch me if you can

2004年3月16日
私が観た唯一のレオナルド・デカプリオもの。
忘れた頃に取り出して観ると、
最初から最後までまた新鮮に楽しめるこの映画。
何がそうフレッシュなものを感じさせるかって言うと、
これが実話に基づいてるって事実以外にない。
両親の離婚を知らされたショックで家を飛び出した
たった17歳の少年が、
そこから食いつなぐために大胆にも「パイロット」になりすまし、
「医者」になりすまし、「弁護士」になりすまし…
ってどうやって?!って話だけど、
映画での描写と、
スペシャルフィーチャーでの本人のインタビューを聞いて、
そうかぁ〜って納得するしかない。
やってのけたその大胆さと俊敏さと、何よりもその能力は
まさに超人技。
服役中にFBIによって職を提供されて
FBIの偽造小切手鑑定職に身を落ち着ける顛末も、
最高にドラマっぽいのに事実だからやっぱりすごいと思う。
でも、スペシャルフィーチャーのコメントなんかで、
誰もがそんな彼のことを
「愛すべきその人格こそが成せた偉業」とか、
「両親の離婚という少年期には辛い経験のために道を外してしまったひとりの少年…」とか、
彼のしたこと(=犯罪でしょ?)にふさわしいコメントかというと
ちょっと疑問なまとめ方に苦笑。
もちろん作品付随のフィーチャーで
彼を弾劾することはできないけどさ。

近いうちタイタニックデビューをしようっと♪

かぞく。

2004年3月10日
Chrissyが泣いた日。
私が泣けてきた。
たった13歳の女の子が、
たったひとりで戦ってるって、
誰も知らないんだ。
自分の中の弱さとかずるさとか矛盾と向き合う以前に、
その存在にすらまだ気付いていない年頃。
それを教えずにただ責め立てて、
彼女が一体何を学べるというのだろう。
冷静さを取り繕って
必死で折り紙を折っていた指先は
無意味な動きを繰り返していた。
全てが彼女にぶちまけられた後に訪れた静けさの中で
耐え切れずにすすり泣き始めた彼女は、
無力そのもので、
それを言えば私も同じだった。
彼女の肩をさすりながら
あまりに痛々しく、言葉が何も見つからなかったから。
そして、何もせずに傍観者の位置に
身を落ち着けている同じ屋根の下に住む他の人たち。

とても、さみしい家族だと思った。

終着点

2004年3月8日
ホームステイ生活も、もうこの辺で限界だなぁと思う。
この家の中での私の役割。
ずっと、本当に、一生懸命探して、
100%の誠意で暮らしてきたけれども、
実を結ばないこともあるということを、
ようやく冷静に受け止められるようになってきた。
もう怖いものはない。
私は100%の努力をしたから。

他人の家族と共に生活するって、
思ってたほど簡単じゃない。

お父さんが家族の中で完全に力を失くして。
お母さんが長女への偏愛に走って。
下の子は、どこにも属してないような顔をしていて。
上の子は、まるで女王様のようで。

私は、よそ見している振りをしていて。

Starsky & Hutch

2004年3月6日
☆☆☆☆☆

本日アメリカで公開された映画“Starsky & Hutch"
評価は上記の通り。
笑い所満載で、プロット自体は陳腐なんだけれども、
もうそんなことはどうでもいいから、と言うほど
全てのシーンに笑いのツボが散りばめられていて、
完全に私にフィット。
もとは70年代にアメリカでヒットした同名のテレビドラマが
オリジナルであって、
今回はその続版ということ。
最後にオリジナルのStarsky&Hutchが特別出演なる形で出てきて、
今映画のStarsky&Hutchと掛け合うシーンは粋で良かった。
主演のBen StillerとOwen Wilson、
映画“Meet the parent"でも共演してたなぁ、と思っていたら、実に今作7回目の共演ということ。
私は完全にBen Stillerびいき。
彼の体当たりとシリアスさで笑わせる演技は、
日本人の誰かの演技を思い出させるんだけど、
それが誰なのか、今思い出せない。誰だっけ・・・。
とにかく、Starsky & Hutch、星5つ。

ちなみにNYに行った時に観た“Return of the king”
先日オスカーで賞を総なめにしたけれど、
投じられた制作費を思えば妥当?
私はあまり夢中になれなかった。
だって主人公の男の子たちすぐ泣くし、命がけの状況でいとも簡単に友情が壊れたり復活したりするし、あからさまに騙されてるのに気付かないし、ほとんど死ぬ寸前なのにいきなり友情の証に友達を担ぎ上げたりするし、
笑わせてるのかこれは?と思わずにはいられないシーン満載でした。

Hit the chance

2004年3月4日
考えることに慣れすぎたせいか、
動き出すまでの助走距離が知らず知らずと伸びて、
助走のスピードでそのままトラックを一周してしまう癖がついていたことに気付く。

そこにあるチャンス。
少し離れた所に立って全ての角度から分析。
そこから得るかも知れない不の要因を全て汲み取って、
自分を納得させて諦めるための言い訳を完璧につくってみる?

慣れてないけど、今回は一発蹴飛ばしてみる。そのチャンス。
跳ね返ってくるものに対応できる準備はできてないけど、

そこにあるチャンス。
私のものであるには変わりないから。

APPRECIATION

2004年3月3日
教えている学校の総生徒数1600人以上。
その中で唯一の日本人家庭のお宅で
夕食を御馳走になった。
この辺りで日本人との出会いは稀。
幸いにも近しくお互いに助け合えていることがありがたい。
まだ10歳にも満たない子供たちが
現地の子供たちに揉まれながらも
家の中では日本の生活習慣を営む姿が
アメリカの子供たちと比べてみると
遥かに逞しく、成熟で、そして可愛らしく見えることに
自分が1番驚いた。
特別に素晴らしいことをしているわけじゃない。
「普通」の生活。

生活習慣の違い、
躾の違い、
価値観の違い、
もちろん言語の違い、

日本に帰ったら
もう1度日本文化の真価を考え直したいと思う。

Linda

2004年3月2日
Lindaが左足に"医療機器"をつけて早2ヵ月。
氷上で見事に宙に浮いて、
空中で骨の折れる音を聞いたというLindaの言葉は
そのまま現実の姿を呈した。
膝下にふたつ、そして足首の少し上にひとつ、
不自然にも直径1センチ以上の穴が開き、
そこに埋め込まれている銀のボルト。
足首から上に伸びる15センチほどの縫い痕は、
そのボルトを内部で受け止めている鉄板を
埋め込んだ時のものだという。
医療機器と言えばおさまりがいいけれど、
Lindaの傷だらけの脚を見ていると、
これが一体最新のマシーンなのか、原始療法なのか、
私には分からなくなる。
傷の痛みや、付随して起こる睡眠障害や薬の副作用。
日常を人の助けなしには送ることができずに、
1日のほとんどの時間を
部屋のカウチで過ごす他にない生活を強いられて
気が狂いそうだと、Lindaはいつも笑って話す。
来週の木曜に今はめ込んでいるマシーンを取り除いて、
ようやくギブスをはめられるとのこと。
どうか、1日も早くLindaが苦痛から解放されて、
もとの生活に戻れますように。

I LOVE NY・・・

2004年2月26日
先週New Yorkへ行ってきた。
私の今住んでいる所から車で4時間。悪くない距離。
Manhattanに住むReubenのアパートにステイしたおかげで、
5日間の滞在費ムリョーというラッキーな待遇。
Reubenが学校に行っている間はひとり勇んで
NY中を歩き回った。もちろんsubwayも快適利用♪
Rockefeller Center, Times Square, Fifth Avenue, SOHO, ChinaTown, The Metropolitan Museum of Art, The Whitney Museum...etc.
特に好きだったのはSOHO
有名ブランドが立ち並ぶFifth Avenueに比べて
個性的で変り種を置いているお店多し。
ChinaTownでふと見つけた、隠れ家のように地下にお店を構える
香港直輸入の洋服&靴屋さんは
必ず次回も訪れようと思う。
言うまでもなく美術館は素晴らしかった。
the Metは西半球で最大の規模を誇る美術館。
週に2回(火曜と金曜)それぞれ1日に1度、
日本語での館内ツアーがあることを入館後に知り、
それが15分後にスタートするというので
迷わず参加した後(古代エジプト、中世ヨーロッパ、そして日本江戸時代コース)、
ひとりで4時間を費やして見てもその半分、きっとその半分の半分も見ることができなかった私は、
中世ヨーロッパの印象派、アメリカ近代、
それからルネッサンス期から20世紀初期にかけてのヨーロッパ彫刻、装飾を見て、
だいぶ疲れて、諦めて美術館を出た。
その2日後に行ったWhitneyはアメリカの近代を扱っている割と小さな美術館で、異端多し。
純粋に物珍しさで釘付けられた。

久々に都会の空気に触れて、東京が懐かしくなった。
初めの頃は、今暮らしているこの場所でだいぶ
気持ちが癒されたことも確かなのに、
時間がたつとそれがただの退屈に変わって、
やっぱり都会のおもしろさが恋しくなる。
地下鉄に乗って好きな所に直行。
欲しいものはいつもそこにあって、
何が欲しいのかすら分からない時だって、
何かがいつもそこにある。
誰にも頼らずに自分の時間をコントロールできで、
時間をつぶす手段にすら困らない。
この上ないこの快適を、
1年前の私は何て言ってたっけ。

Reuben―一流の人との出会いも、NYでのひとつの経験だったのかもしれない。“New Yorker”担ぎではなく、あなたを、素晴らしいと思った。あなたのしなやかさを素晴らしいと、とても魅力的だと、そして好きだと思った。

Reuben

2004年2月21日
一緒にいて
背伸びしないでいられる人を
好きになろう。
一緒にいて
もっと良い人間になろうと努力しないでいい人を
好きになろう。
一緒にいて
悲しくならない人を
好きになろう。

だから私はあなたを好きにならない。

切なさを押し殺しても。

SAITA

2004年2月16日
BostonのPorter SquareにあるPorter Exchangeにて
和食をご馳走になった。
ずばり鮪納豆定食。
久々の懐かしい味と、
日本語が行き来している店内で、
心がほっと和んだ瞬間。
その後、Asian grocery shopで
日本の雑誌をチェック。
an an, can cam, JUNON...
やっぱり日本のおしゃれってアメリカのより断然かわいい。
とりあえず神田うのが表紙のSAITAを買って、
帰国までのダイエットの参考にでもしようかと思います。

それだけのこと。

2004年2月13日
夢の記憶を辿りながら、
日に日に薄れていく記憶に
安堵する。
もう大丈夫だと。
残した傷を隠すでもなく、
カラリとしていられれば、
恥じる必要も、
当然そこに立ち返る必要もないということ。

それだけのこと。

close to the end

2004年2月12日
何でも終わりに近づいてくると
全てが素晴らしかったと言い切れるこの薄情。
思い出がいつもきれいな理由は
この微妙な時期の心理に大きく影響されていると言ってしまおう。
どうしたって本当に終わってしまう時のこみ上げるものに適うものは到底無いのだから、
認めてしまうのが1番いい。

MONALISA SMILE

2004年1月22日
ちょっと前にこっちで公開になった映画"MONALISA SMILE"を観に行って、とても好きになったので、今度の日曜日にもう1度観に行くことにした。
結婚とキャリア、天秤にかけられて上下するその重みは互いに作用しあっているようで、
実はそれぞれに個として独立できない迷いで揺れているに過ぎない心の弱みを衝かれたような気がした。
結婚経験のない私に何が分かる、という話だろうか?
たった一度の人生を覚悟して、そしてしなやかに生きることの真実を見た気がした。

勝利宣言

2004年1月10日
はろー調子どう?あ、新年明けましておめでとうございますだよね。
オーストラリアでのクリスマス&年越しはどうだった?私はぼちぼち。
アメリカのばかばかしいほどの盛大なクリスマスイベントに揉まれ、
新年はボストンの打ち上げ花火のもとで迎えました。
日本のお正月恋しくなかった?私めちゃめちゃ恋しかったよー。
新年会とか忘年会とかしたいなーって思ったし、普通におせち食べたーいとか、紅白見た
ーいとか、みかん食べたーいとかそんなレベルのことがかなり身に応えたね〜。
今年は1月1日が木曜だったおかげで学校は4日からでラッキーだったけど、
それがもし2日から学校とかだったらまじでへこんでた気がする・・・。
私は12日間のオフだったんだけど、わりと忙しく過ごしました。
1番良かったのはメーン(Maine)に行ったことかな。
ボストンの花火も良かったけど、まぁこれは記念に、って感じ。

そう、報告。
学校の方ね、ようやく、何とか治まったよ。
心の中では「勝利宣言」と銘打ってるんだけど、まさにそう。
今週に突然修羅場がやってきてね。
でももう私はひとりじゃないっていう自信もあったし、
自分の正当性も、相手の的外れもいいとこの主張も、
周りの目にもはっきりしてたんだけど、
まさかまたこいつ日本帰国をちらつかす気か?って言うね、そんな危険を感じて
一回だけ友達に「もし私が緊急帰国したら温かく迎えてね」っていうメールを
送った。まじで。
だって今回マジで切れられたんだよ。電話口で思いっきり。「何で言われたことができないんだ?!何回言えば分かるんだ?!」って。
私もさすがにむかついて、はっきり的がずれてることを指摘したんだけど、
相手は絶対それを認めなくて、その2日後に緊急会議。
結果全部が私にとって追い風で、相手もそれを見て初めて私に謝罪と相成りました。「誤解だった」って。まぁある意味その人自身が「全部誤解」みたいな人なんだけどさ(苦笑)
この数ヶ月にできるだけ沢山の人と会話をして、ひとりでも多くの人とつながろうって
努力してきて良かったと思ったよ。
ホント、アメリカ生活およそ9ヶ月になろうという所で
ずっとそこにあった負担が取り払われた、そんな感じ・・・。
あとは自分次第。
もう誰のせいにもすることなく自分自身と向き合っていこうと思います。
これが1番難しいのよね・・・。
それでも今はこの境地に立てたことが本当に嬉しい。
だって、散々屈辱的な思いをしたり、勝手なこと言われたり、
助けが欲しい時に誰を頼っていいのか分からなかったり、
かっこいい言葉使えばやっぱり「闇」の中みたいな時あったから。
何でだろう、どうしたらいいんだろう。って考えても考えても
何にもうまくいかなくて、でも「全部」が絶望じゃないからいいか、なんて
騙し騙しで自分慰めて、でも気付けば全然前に進んでないじゃんって、
認めざるを得なかったりさ。
今思えば避けられない現実だったかもしれないけど、
そこで「もう無意味だ」って諦めることをしないで良かった。
特にアメリカ人は「自分が嫌だったら嫌って言いなさい」とか「そんな状況で働く価値どころか筋合いない」とか、一概には言えないけど、
そんな言葉や態度がまかり通りすぎてるために“買ってでもするべき”苦労を放棄してる人が多い。大人はもちろん子供もそんな親にスポイルされて我慢することができない。
でもやっぱりそんなんじゃまともな人間になれないと思った。
私が学校で親しくしている人たちは、
親切に溢れててそれを100%実行に移せる行動力がある。
逆に近づきたくないのはいつも華やかな場所に行きたがるのにそのための手段を踏まない人。地道な努力とか計画性がないから大きなことは何でも言えるけど、細かいことは誰か他の人がやると思ってる。お願いだからそういう人は私に近づかないで欲しい。
とにかく色々脅威に晒されつつも生き延びたおかげで、
やっと苦労が実を結んだ。

超長くなったけど、あなたも上り調子で頑張っているといいなと思っています。
それじゃまたね。

Stand up for myself

2004年1月7日
言葉は武器だ。
人を傷つける。


理不尽に、的外れな激情をひたすらに浴びて、
一瞬ひるみそうになった。
言葉を失うかと思った。
何度彼は私に対してunacceptableと
連呼しただろう。

聞きながら、心の中で悪態吐きながら、
彼がそうしているように、同じ激情で
応戦することは簡単だと思った。

ふざけんな。お前が言ってきたこと全て秩序立ててから戻ってこい。2度と戻ってこれないこと保証する。

でもそれをさせたくなかった。私自身に。
言葉の武器はこりごりだ。
私はその悲劇を充分に知っている。
私の犯した罪。
歪んだ口元。
言葉の武器は、私をどこにも連れて行かない。

でも、言葉が必要だった。
伝えるための。
Just to stand up for myself
この立場を維持するための。

私は言えたのだろうか。
自分が一体何と戦っているのかさえ
分からなくなる混沌の中で。

私のトライは正を伝えられたのだろうか。

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